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2015.02.08 23:23

富岡製糸場と女工哀史


製糸場と言うと直ぐに思い出すのが、女工哀史(あゝ野麦峠)ですが、岡谷の製糸場と富岡製糸場の決定的な違いは、働いていた女性の年齢です。
あゝ野麦峠では飛騨高山地方の貧しい農家の12歳前後の女子が、野麦峠を越えて、岡谷の製糸工場で働きますが、富岡製糸場は12歳未満の雇用を禁止していましたし、一日7時間45分の労働と定めています。
休日は日曜日(年50日)祭日(年6日)年末年始(年10日)夏休み(年10日)万聖節(ハローウィン)天長節と決められていました。
又食事代の自己負担なし、夏冬の服料として年5円が支給されました。
賃金は岡谷の製糸場の方がはるかに上で年間100円(当時は100円有れば家が建つと言われていたそうです)を稼いだ人もいたそうです。富岡製糸場では1等工女で1ヶ月1円75銭、等外工女は75銭でした。(時代が20年ばかり違いますが)
全国から集った工女は、元武家の娘たちが多かったようで、彦根(滋賀県)から来た女性は、鉄道と馬車で富岡まで来たそうです。
富岡製糸場は、働くことが目的では無く、繰糸を伝習して故郷でその技術を伝えることが決定的な違いかと思います。この事は、三井、原、片倉の時代も伝承されていたようです。
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