官営富岡製糸場の工女たちは技術習得後は伝習工女として故郷で指導にあたりました

官営富岡製糸場への工女県別入場者数

官営富岡製糸場は、模範工場として器械製糸の技術を全国に広めることを目的としたため、工女は全国から募集し、技術習得後は伝習工女として出身地域で指導に当たるこことなっていました。明治政府は、各県(廃藩置県によって出来た県)に対し工女募集の通達を行いましたが、外国人(フランス人)の技師や指導者が赤ワインを 飲むのを観て「生き血を飲む」「若い娘の生き血を吸う」「油を絞られる」などの噂が流れ、工女が一向に集まらない事態が生じました。これに対し、明治政府は製糸工場の意義と噂を打ち消すために、告諭書を何度も出しています。

官営富岡製糸場の工女の入場実態 1873年(M6)~1884年(M17)

スマートフォンでは、うまく見られない場合がりますので ファイルで御覧下さい。  明=明治6年1月~明治17年 数字は人数
県名 明6.1月 同4月 明9 明11 明12 明14 明15 明16 明17 合計
群馬 228 170 99 59 54 33 25 17 23 708
埼玉 98 82 2 14 16 14 14 8 5 253
長野 11 180 11 13 74 32 12 6 7 346
神奈川     103 17 9 3 1   2 135
栃木 5 6 1 5 5 1       23
茨城         4 4 1     9
千葉       4 6 12 8     30
新潟       50 53 36 28 3 1 171
東京 1 2 49         21 12 85
山形 17 20 12             49
福島         1         1
宮城 15 15 5             35
青森     7 3 2 2 1 1 1 17
岩手 8 8   5 4         25
静岡 18 26 43 25 6 17 12 1 3 151
愛知       1 2 18 14 66 80 181
岐阜       9 15 43 57 47 43 214
石川 1 1               2
京都     21             21
兵庫   4               4
滋賀     153 167 132 106 82 53 44 737
大阪         1 1       2
奈良 2 6               8
島根     1             1
鳥取               20 18 38
山口   36               36
徳島     1             1
大分           25 25 76 44 170
長崎           4 4 2 2 12
北海道   6 6             12
合計 404 562 514 372 384 351 284 321 285 3,477
この表を見ると、明治9年から滋賀県からの入場が増え、合計でも、地元群馬を抜いて1番となっています。富岡製糸場は、最低462名の工女が必要とされていましたので、慢性的な工女不足でした。 (工女の契約期限は3年でしたので明治8年頃からは、退場者が増えています。)これを危惧した韮塚直次郎(現:深谷市明戸の出身 富岡製糸場建設で、資材集めの責任を持たされ、後に「賄い方」を任せれます。)は、彦根藩士の父を持つの妻(美寧) の縁を頼って工女募集に奔走します。参考資料:富岡製糸所記・職員録 富岡町入寄留簿 富岡市教育委員会発行「富岡のまち」

フランス式繰糸機(岡谷蚕糸博物館所蔵)

操業当初に設置された300釜のうち、唯一現存している2釜の繰糸機械です。輸入時は2緒繰りの共より式より掛けでしたが、その後改造され、4緒繰りのケンネル式より掛けに改良されました。 繰糸機械の左鉄軸に「百五十一」の座席番号が記されています。繰糸機械は25釜を1セットとして区切られて、総計12セット300釜の工場でしたので、151番から175番のセットに位置していました。 繰糸台の右側に鋭い切断後が残されていることから、この機械が151番機と152番機であり、機械保存のために152番機と153番機の間で切断されたと推測されています。 (参考資料:岡谷蚕糸博物館HP)

富岡日記による富岡製糸場

和田(横田)英(えい) 父は信州松代の旧藩士の一人横田数馬。明治六年頃は、松代の区長。信州は養蚕が最も盛んな県なので、女子を富岡製糸場へ伝習に行かせるよにと県庁から通達が有りました。
1874年7月には和田(横田)英らが富岡製糸場から戻り、六工社で操業を開始します。 六工社は長野県埴科郡西条村(現・長野市松代町西条)六工(ろっく)に位置した国内初の民間蒸気製糸工場です。大里忠一郎らが官営富岡製糸場にならい1874年(明治7)2月に建設を開始しています。

「富岡日記」六工社初見物より 原文の通り

私共一同は明治七年七月七日故郷松代へ着致しまして、その翌日は宅に居りましたが、その翌日九日埴科郡西条村字六工に建築致されましたる六工社製糸場へ一同打揃うて参り ました。 その道にありました大里忠一郎氏の御宅へ立寄りまして、同氏並びに夫人里子御老母等に御面会致しまして、同氏の御案内で六工社へ参りました。 機械その他を見ました。兼ねて覚悟のことなれば別に驚きも致しませぬ。 却って能くこの位に出来たと思いました。しかし富岡と違いますことは天と地ほどであります。 銅・鉄・真鍮は木となり、ガラスは針金と変り、煉瓦は土間、それはそれは夢に夢を見るように感じましたが、まずまず蒸気で糸がとられると申すだけでも日本人の手で出来たとは感心だ位にて、その日は引取りました。

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尾高惇忠 富岡製糸場 初代場長

尾高惇忠

ポール・ブリュナ
富岡製糸場の建設のために雇われたフランス人技師たち

ポール・ブリューナ

創業当時の繰糸場の写真

繰糸場

水分検査機
 
ポール・ブリュナが明治4年、フランスに発注した物、水分検査機

水分検査機

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