甘楽教会は新島襄の教えを守り、海老名弾正や宮前半五郎、斎藤寿雄の尽力で明治17年に仮会堂が創設されました

日本基督教団 甘楽教会

甘楽教会の始まり

明治16年に6月、安中教会の信徒・茂木一郎(古着商:蚕種販売)が南後箇村(現在の富岡市南後箇)にて、キリスト教の伝道師として布教を始めます。
キリスト教の教えに賛同した方が30名(男性20名女性10名)ありましたので、聖書を読んだり安中教会に出向き説教を聞いたりします。
同年11月には安中教会から海老名弾正・田嶌一斉・茂木平三郎(茂木一郎の養嗣子・同志社英学校卒)や前橋教会から蔵原惟郭、高崎教会からは星野光多の5名で南後箇で初めて説教会を催します。 その時の聴衆は150~160名だそうです。
12月には茂木平三郎が伝道師として聖書の教えを説いて聞かせます。この時は14名の参加者が有り聖日礼拝や日曜学校、夜の集会などを定めます。その後受洗希望者が35名となり、明治17年2月20日に「甘楽第一キリスト教会」として南後箇村中平に (現在の富岡市南後箇)宮前半五郎宅を改築し仮会堂ができます。
その後手狭になった会堂を、高瀬村(現在・富岡市中高瀬)の斎藤寿雄(初代群馬県医師会会長や県議会議員、衆議院議員を歴任)宅に移しています。

甘楽第一キリスト教会 辻蜜太郎

第一代牧師 辻 蜜太郎

1891年(M24)5月~1893(M26)5月

牧師
甘楽教会 岡部太郎

第二代牧師 岡部 太郎

1898年(M31)3月~1917年(T6)3月

牧師
甘楽教会 岡部太郎

第三代牧師 住谷 天来

1918年(T7)4月~11934年(S9)3月

牧師
甘楽教会 岡部太郎

第四代牧師 海老沢 宣道

1935年(S10)7月~1938年(S13)6月

牧師
明治17年2月20日に設立した集会には同志社神学校で新島襄の薫陶受けた海老名弾正熊本バンド) 「NHK大河ドラマ 八重の桜」の後半(37話)頃から海老名喜三郎 名で登場しています。
阿部亮平が演じました。、湯浅治郎(安中市出身 有田屋当主 群馬県議会議長 衆議院議員歴任)、蔵原惟郭、(熊本バンド星野光多長田時行、山崎塊 一らの明治から昭和にかけて活躍した牧師や、政治家の名前が見えます。

群馬のキリスト教と蚕糸業

明治期において、群馬県でキリスト教が広まった理由として大きくは2つあげられます。
1つは蚕糸業(蚕種製造・養蚕・製糸)および織物業との関係です。
群馬県は江戸時代以前よりそれらが盛えており、明治時代になり鎖国がとけると群馬の蚕糸(シルク)が外国に輸出されるようになりました。
そしてそれに携わった人々によって群馬県にはキリスト教が広まります。
つまり養蚕糸業や製糸業、あるいは絹織物産業が盛んな土壌がキリスト教を導きいれ、それに関わる方々によってキリスト教活動が支えられたと考えられます。
(下の写真は1917年・大正6年岡部太郎牧師送別記念)

もう1 つは地元安中藩出身の新島襄の影響が相当あったと考えられます。彼の教えにより安中教会が創設され、その後、安中教会の教派である組合教会が群馬県西部を中心に作られました。
この組合教会は明治時代における群馬県下の教会の多勢を占めることとなります。

甘楽第一キリスト教会その後

1884年(明治17)は上野・高崎間が開通した年で、富岡は山中の小都市ですが、製糸場が設置され有名な土地となりました。
1884年(明治17年)2月20日に設立した甘楽第一キリスト教会は、1887年(明治20年)9月、高瀬村(現:富岡市中高瀬)の斎藤寿雄の自宅に仮会堂が移り、明治21(1888)年12月に富岡製糸場の正門近くに会堂が移ります。
1899年(明治32年)9月30日には「甘楽第一キリスト教会」から「甘楽教会」(正式には甘楽基督教会)へと教会既設立の届けを群馬県知事(古荘嘉門)へ提出しています。
(下の写真は富岡製糸場近くの旧会堂1941年頃)

甘楽教会旧会堂

1903年(明治36)12月には、会堂のある土地が、売るに出たのを気に、売買契約が成立し取得となります。
現在は、幼稚園を併設し七日市(富岡製糸場の西)に昭和29年に大谷石作りの礼拝堂が建設されます。

(下の写真は現在の甘楽教会礼拝堂)

大谷石造りの甘楽教会

1905年(明治38年)8月21日(月)には、富岡製糸場で働く信徒や求道者の集いが開かれ、工女や青年達の休日である、1の日毎には、教話や賛美歌の練習の集会が開かれました。
この時の出席者は9名という記録が残っています。
この年には5月10日(水)には、医師で国会議員の斎藤寿雄の提案により、富岡女学校が設立され授業が始まります。
その時の教授人には、甘楽教会の牧師や信徒、元教師らが当たりました。甘楽教会の教会員達は、斎藤寿雄の提唱で廃娼運動や女性教育や女子の人権回復のために尽力しました。
さらに、斎藤寿雄は早くから幼児教育の重要性を感じ1921年(大正10年)年頃に、富岡市内の神社(諏訪神社)の境内に有った社寺本部の建物を借り受け、幼稚園を始めますが、神社の建物内でキリスト教主義の教育を行うことには無理があり、1933年(昭和8年)に立ち退きを迫られます。
1934年(昭和9年)に経営者は斎藤寿雄のままで、甘楽教会の牧師が実務を委嘱され1938年(昭和13年)3月25日を持って甘楽教会の付属幼稚園となります。この時の園児数は100名に達していました。
園長には甘楽教会の牧師があたり1952年(昭和27年)には園児が増加し、手狭になった園舎を七日市(現在の場所)に移転します。現在も変わらず幼稚園(甘楽幼稚園)は運営されて続けています。

甘楽教会 礼拝堂内部

甘楽教会と甘楽幼稚園甘楽教会は富岡の街の歴史の中で重要な要素であり、文化資源と言えると思います。 甘楽教会の 大谷石造の礼拝堂は富岡市の行った調査により、歴史的建造物・洋館とされています。

参考文献:甘楽教会百年史 荻野基行:明治期の群馬県藤岡地区におけるキリスト教と養蚕業の関係

参考資料:甘楽教会100年史 甘楽教会130年史 郷土の偉人「斎藤壽雄」 キリスト教と前橋 明治期の群馬県藤岡地区におけるキリスト教と養蚕業の関係  青い目の旅人 安中教会史 創立から100年まで

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尾高惇忠  富岡製糸場 初代工場長

ポール・ブリュナ  

富岡製糸場の建設のために雇われたフランス人技師たち

操業当時の繰糸場の写真

水分検査機 ポール・ブリュナが明治4年、フランスに発注した物、水分検査機

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