富岡製糸場の記念碑は、行啓70周年を記念して昭和18年(1943年)に建てられました。

富岡製糸場 記念碑

富岡製糸場 昭憲皇太后行啓記念碑

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創業して半年後に明治天皇の皇太后および皇后が富岡製糸場に行啓されました。 この記念碑は、行啓70周年を記念して昭和18年(1943年)に建てられた碑です。 碑には皇后が詠った和歌が刻まれ、「たくさんの糸車が速く回っている様子は、我が国の繁栄につながるだろう」という富岡製糸場への期待感が表されています。 また、碑の台座は扇の形をしていますが、これは行啓の際、皇太后・皇后が工女全員に桐の御紋が付いた扇子を配ったことにちなんでいます。 創業間もない時期に皇太后および皇后が揃って富岡を訪れたこと、また和歌の内容からも、いかに我が国が富岡製糸場に力を入れていたかが分かります。

いと車とくもめくりて大御代の富をたすくる道ひらけつつ

上の歌は昭憲皇太后が行啓の時に富岡製糸場で詠まれた歌です。

記念碑 徳富蘇峰プロデュース この碑は、片倉工業の三代目片倉兼太郎の求めに応じ徳富蘇峰(終戦後A級戦犯容疑をかけられてが、老齢と三叉神経痛のためにGHQにより自宅拘禁とされ、後に不起訴処分が下された。)の起案で建られたものです。 明治6年6月19日英照皇太后 昭憲皇太后には赤阪仮皇居を発輿あらせられ23日富岡に着き翌24日当時熊谷県令河瀬秀治の 御先導にて富岡製糸場に行啓あらせられる。当時所長尾高純忠等に謁を賜ひ特に数名の練習生 を選抜し機械製糸の実況を台覧に供し奉れり。当時昭憲皇太后の御歌に 「いと車とくもめくりて大御代の富をたすくる道開けつつ 」これに依って如何に行啓の恩召が国産奨励に存したることを拝察するにあまりあらん。  ここに見事に「いと車・・・・」と富岡製糸場の関係が綴られている。蘇峰はこの70年間 「いと車・・・」が大きな役割を担い,今後も「いと車・・・」の役割は大きいといいたかっ たのであろう。昭和18年6月といえば戦争に突入して半年あまり,「いと車・・・」は残念で あるが別の方向に利用されることになる。

[碑の内容]

元帥陸軍大勲位功一級載仁親王篆額

生絲ハ皇國産業ノ主要品ニシテ海外輸出ノ大宗タリ明治初期當局者ハ生 絲ノ改善ト普及ヲ目的トシテ佛人ブリユーナ等ヲ聘シ富岡製絲所ヲ設立ス

是レ實ニ明治五年十月トナス爾來模範工場トシテ克ク其ノ目的ヲ達成セ リ此ヲ以テ政府ハ是ヲ民業ニ移シ三井氏原氏ヲ經テ遂ニ片倉氏ノ經營ニ 歸シ業務愈賑ヘリ

惟フニ富岡製絲所ノ歴史ニ於テ特筆スヘキ一事アリ明治六年六月十九日

英昭皇太后昭憲皇太后ニハ赤坂假皇居ヲ發與アラセラレ二十三日富岡 ニ着御翌二十四日當時ノ熊谷縣令河瀬秀治ノ御先導ニテ富岡製絲所ニ行 啓アラセラル當時ノ所長尾高惇忠等ニ謁ヲ賜ヒ特ニ數名ノ練習生ヲ選抜 シ機械製絲ノ實況ヲ台覧ニ供シ奉レリ當時

昭憲皇太后ノ御歌ニ

いと車とくもめぐりて大御代の冨をたすくる道ひらけつゝ

コレニ依ツテ如何ニ行啓ノ思召カ國産奨勵ニ有シタルコトヲ拝察スルニ 余リアラン爾来星霜七十年今ヤ大東亞聖戰ニ際シ國家富強ノ寶將ニ宇 内ニ赫灼タラントス友人片倉兼太郎君予ニ嘱シテ此ノ盛事ヲ不朽ニ傳へ ント欲シ一文ヲ徴ス仍テ其ノ梗概ヲ掲ケテ後毘ニ誥ク

昭和十八年六月二十日

蘇峰徳富正啓撰 高田忠周書 藤澤群黄刻

聖徳記念絵画館壁画「富岡製糸場行啓」

昭憲皇太后 富岡製糸場行啓 左:皇后(昭憲皇太后)・右:英照皇太后

聖徳記念絵画館壁画「富岡製糸場行啓」(荒井寛方(かんぽう)画)

参考資料:産業研究(高崎経済大学産業研究所紀要)第47巻第1号 昭憲皇太后と富岡製糸工女のエートス 山 﨑 益 吉 

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尾高惇忠 富岡製糸場 初代場長

尾高惇忠

ポール・ブリュナ
富岡製糸場の建設のために雇われたフランス人技師たち

ポール・ブリューナ

創業当時の繰糸場の写真

繰糸場(繰糸所)の錦絵

水分検査機
 
ポール・ブリュナが明治4年、フランスに発注した物、水分検査機

水分検査機

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