富岡製糸場のブリュナ館はポール・ブリュナとその家族のための寄宿舎

富岡製糸場 ブリュナ館(首長館)

富岡製糸場ブリュナ館

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富岡製糸場の建設にあたり、明治政府は横浜の商館で生糸の検査をしていたポール・ブリューナを指導者として雇い入れました。 上の写真はそのポール・ブリュナが住んでいた家です。 この建物は1873年(明治6年)頃に建てられました。 ブリュナ館は、当時一番南の陽当りの良い場所に建てられました。 個人の住宅としては、非常に大規模です。 建物は高床式のコロニアル様式で、周囲にベランダをめぐらし、窓には風通しの良い板戸が取り付けられた開放的な造りとなっています。 洋風な造りですが、湿度の高い日本の気候に適していると言われています。 建物の内部は、大きく改造されていますが、唯一当時の特徴を残しているのが、煉瓦造りの地下室です。 この地下室は、食料品の貯蔵庫として使われていたと考えられています。 ブリュナは契約満了の1875年(明治8年)までココに住んでいて富岡を去りました。 その後この建物は、学び舎として使われ、工女たちが読み書きやそろばん、裁縫や行儀作法を学びました。 コレもフランスから取り入れた制度の一つです。

コロニアル様式のブリュナ館(首長館)

西側から見たブリュナ館

西側から見たブリュナ館(首長館)。ポール・ブリュナとその家族のための寄宿舎として、1873年(明治6年)頃に建設された。また、日本の湿潤な気候に対応するためコロニアル様式が採用されている。

ブリュナ館(首長館)の地下室

ブリュナ館の地下室 食料品の貯蔵庫として使用されていたようですが。おそらく「生き血を吸う」との噂の赤ワインも貯蔵されていたのでしょうね。 この地下室は現在調査中のため、残念ですが関係者以外は立ち入ることは出来ません。

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富岡&富岡製糸場情報

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尾高惇忠 富岡製糸場 初代場長

尾高惇忠

ポール・ブリュナ
富岡製糸場の建設のために雇われたフランス人技師たち

ポール・ブリューナ

創業当時の繰糸場の写真

繰糸場

水分検査機
 
ポール・ブリュナが明治4年、フランスに発注した物、水分検査機

水分検査機

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